Yamaguchi Seminar
Rikkyo University
Interview
このページは、私たちのゼミナールを担当されている山口義行先生の素顔を、
今この山口ゼミナールのサイトをご覧になっている方々に少しでも伝えることができたらと思い、
設けられました。みなさんが私たちのゼミに対する理解を深めていただく一助となれば幸いです。
(この取材は2005年の年の瀬も迫った頃に行われたものです)
「すみません、年末のお忙しいときに」
「いや、今年の仕事は大概片付いて、少し時間が出来たから。それで、インタビューっていうのは?」
「はい。山口ゼミサイトのコンテンツを充実させるためにも、新しく先生のインタビューコーナーを設けようと思いまして。
インタビュアーは先生にとっては残念ながら僕が務めさせて頂くことに・・・」
「ああ、それはとても残念だ」
「う・・・」
「いや、冗談だよ。続けて」
「はい。このコーナーを設けることで、先生が普段の講義などでは話されないような、
先生の思想とか、教育の方針であるとかですね、経済のことや知識とは関係のないことを掲載してみようかと。
今年はもう終わってしまいましたけど、このコーナーが来年の新入生がゼミを選ぶときの参考になれば良いかと思います」
「ん~、”思想”や”教育方針”ね・・・。まぁ、始めようか。最初の質問は?」
「はい。初めに、『先生がなぜゼミナールを持とうと考えたのか、その動機』を伺いたいと思います」
「・・・ちょっと待って。なんか、質問が固くない?」
「え?と、おっしゃいますと?」
「いや、主な対象は学生で、新入生がゼミを選ぶときにこのページも覗いてみて参考にする、そういうことだったよね?」
「はい」
「そうなると、思想だとか教育方針だとか、そんな聞き方だと誰も読まなくなるんじゃないかな。表現が固いよ。
君は俺に何を聞いたっていいんだから、そういう堅苦しいことは色々と話しているうちに、何気ない会話のうちに、
それとなく伝わるのが一番だと思う。ストレートなのも悪くはないだろうけど」
「な、なるほど・・・」
「なるべく新入生とかが気になるであろうこと、この先生のこういうところを知りたいな、と学生が思うようなことを聞かないと」
「そうですよね・・・」(そっか、それは確かにそうだ。あんまり変なことも聞けないと思って妙に息巻いていたな・・・)
と、管理人は初めに自分の頭の固さを指摘され、このインタビューは始まりました。
ここからがインタビュー記事です。
【在学中には絶対にしないことを、二つ決めていたんだ】
-先生が学生でいらした頃は、どんな学生でしたか? やはり勉強はたくさんしました?
-まずね、授業にきちっと出席するほうではなかったよ。というより、ほとんど授業には出ていなかったといってもいい。
-それでは成績とかは?
-いいわけないだろう。当時でいう一般教養、今は全カリって名前が変わっているけど、あれはCだらけ。
専門はAがほとんどだったけどね。でも専門にしても授業にはあんまり出ていなかったから、担当の先生の本とか論文を読んで勉強していたよ。
昔は授業の出席状況なんてものは評価対象ではなかったからね。その点、今の学生は偉い。真面目だ。それに穏やかでおとなしい。
-そうですか?
-うん。例えば一限の授業なんて9時からだろ?それよりもっと早くに起きて、ちゃんと出席するなんて本当に偉いと思うよ。
それが自分にとってわけの分からない授業で、しかも聞くつもりもないのにただじっと座っている学生とかはすごいよね。
-当時はそんなに授業に出る人が少なかったですか?
-自己弁護みたいになっちゃうけど、昔は授業に出て真面目に聞いてっていうのはカッコよくなかった。
当時は何か型にはまること自体がカッコ悪かったんだね。今ではみんな疑うことを知らないっていうか、
平気で勝ち馬に乗るというか、みんな同調して動くよね。昔はそういうのは恥ずかしいことだった。
一匹狼で、ルールはあくまでも自分の中に持っているというのがカッコよかった。
当たり前だけど、授業にちゃんと出席する人ももちろんいっぱいいたよ。それ以外の、授業に行かない大学生たちの中には、
一人でもくもくと小説書いてるヤツとかいろいろな人がいたね。今はみんなバイトに精を出してるんじゃない?
先輩たちの場合はやっぱり学生運動かな。昔は今と違って、社会的な問題意識を刺激してくれるものが蔓延していた。
ベトナム戦争とかね。当時は社会全体が批判精神に満ちていた。だから、学生にしても何かにつけ批判的だった。
学生運動もそういう社会の傾向の中の一つ。今はその批判精神っていうものが無いね。
マスコミの報道に対しても政府や政治家の言うことに対しても、みんなほとんど疑わない。
大学生はもうコイズミ・チルドレンとかホリエモン・チルドレンだらけだね。疑うことを求められるきっかけが無いのかもしれない。
-先生は、授業に出ない間が何をなさっていたのですか?
-最初、大学に入った当初は空手をしていたね。高校時代からずっとやっていたんだけど。
一年の頃は大学でも空手部に入って・・・でもしばらくして辞めてちゃったけど。
-それはまたどうしてですか?
-ん~、辞めたくなったんだね。明確な理由は無かったような気がする。しいて言えば、やっぱり型にはまるのがイヤだったんだろうね。
でも、空手部を辞めてからは、経済学を勉強するようになった。何せ時間はすごくある。
学生生活の具体的な話をする前に、このことを言っておいた方がいいかな。
これが俺の学生生活の大前提だったから。俺は、大学在学中には絶対にしないことを、二つ決めていたんだ。
-それは何ですか?
-ひとつはアルバイトで、もうひとつは麻雀だよ。この二つはね、どうしようもなく時間をつぶしちゃうから。
今の学生は簡単に時間を埋めてしまう人がたくさんいるけど、すごくもったいないと思うね。
時間というのは何物にも替えがたいとても重要なものだ。だから俺は安易に時間を埋める手段だけは取らないでおこうと決めたわけ。
それにしても、今はバイトをしている学生が多いね。生活のためなら仕方ないけど、暇だからやってるという人もかなりいるんじゃないかなあ。
どうも不思議なんだけど、学生なのにやたら働いているように思う。みんな、卒業したら定年までずっと働くことになるんだよ。
だったら、今はなるべく働かないようにしようって発想になんでならないのかなあ。
せっかくの自由な学生時代を仕事で埋めるなんてもったいないよ。
-なるほど。確かにアルバイトは時間をかなり食う割にメリットが少ないものかもしれません。
-まぁ、アルバイトで社会的見識が広がるということもあるんだろうけど。とにかく俺はバイトはしないし、麻雀もしないことに決めていた。
バイトをするくらいなら、食い物を減らしてでも支出の方を節約することにした。モノはいつも不足してるけど、
自由に使える時間だけは有り余るぐらいにあるってのが、正しい学生生活だと俺は思うね。
バイトもしない、麻雀もしない、授業にも出ない、そんな状態がしばらく続いて、
さすがに時間の使い方に困って、「しょうがない、久しぶりに大学にでも行くか」って感じで大学に行ってみた。
そしたら大学とか授業とか、みんな輝いて見えたんだ。その時たまたま受けた講義が良かったのか、経済学が面白いと思ってね。
そこで、よし俺も思いっきり勉強してみようって。この時の決意が現在の生活の原点になっている。
バイトかなんかで適当に時間を埋めていたら、今の自分は無いね。
三年になってからは久留間先生のゼミに入ったんだけど、そこではゼミ生があんまり勉強していなかったね。
俺がどんなに勉強して苦労して調べたことを発表しても、他のゼミ生たちはピンとこなかった。
でも先生だけはわかってくれて「ここまで、よく勉強したね」って褒めてくれたりもした。
ゼミが終わるとみんなすぐ帰って行ったんだけど、俺はその後先生といっしょに喫茶店に行ったりご飯を食べに行ったりしていた。
そこでいろんな話を聞いたことが、今すごく役立ってる。君たちも、「これは!」って先生や人と出会ったら、
その人にしっかり食いついて、どんどん学び取っちゃうという姿勢が必要だよ。
そうじゃなきゃあ、どんな人と出会ってもただ「すれ違う」だけの出会いになっちゃう。もったいないよね。
三年の終わり頃にはもう大学院に進む決意もしていた。そのことを久留間先生にも話したのだけど、ものすごく反対されたよ。
-どうして久留間先生は反対されたのでしょう?
-それはやっぱり、大学の先生になること自体が難しいから。大学院に進んだのはいいけれど、
大学に就職口がなくて40歳代になっちゃってる人は当時ザラにいたからね。でも俺はともかく経済学がすごくおもしろかったし、
このままずっと研究が続けられるならリスクをおかしてもいいと思った。
最後は久留間先生も賛成してくれて、いろいろアドバイスをもらって勉強を続けたよ。
-アドバイスとしてはどのような?
-いっぱいあるけど、たとえばとにかく「本を読め!」って言われたね。四年の時は三日に一冊ぐらいのテンポで本を読んでた。
それから、こだわったテーマについてはともかく一日中考えてた。電車の中でも、メシを食ってても、
頭がおかしくなるくらい繰り返し繰り返しアレコレ考えてた。考え事をしながら歩いてて道を間違えちゃう、なんてのは日常茶飯事だったなあ。
だから、自動車免許だけは絶対取るなってよく言われてた(笑)。
俺は知識を増やすことにはあまり興味は無かったし、「知らない」ってことはぜんぜん恥ずかしくなかった。
むしろ、「わからない」くせに、他人の考えた理屈をそのまま語ってる自分を恥ずかしいと思った。要するに、理屈を「覚えて話す」より、
理屈を「考える」ことが好きだったんだね。これは今も同じ。
大学に入って勉強することのおもしろさを味わえたことはとってもラッキーだったと思うよ。あの時たくさん勉強したから今がある。
入学当初のままダラダラ大学時代を過ごして卒業しちゃってたらと思うと、ホント恐ろしいよ。
【自分でおいしいものを探さないといけない】
-それでは、先生の授業はとても厳しいとよく言われていますが、なぜそんなに厳しい授業をするのですか?
-これは聞かれるかと思っていたけど、やっぱり聞かれたか。さっき、今の時代は疑うことのきっかけがほとんど無いと言ったね?
-はい。おっしゃいました。
-でも、大学の授業、また大学生活そのものがそのきっかけになればいいし、
教師は大学が学生にとってそういう場になるように努力すべきだと思う。大学に来て授業に出て、そこでもう一度考える力を養う。
大学はそういう場を提供しないと。そのためには今の学生たちには多少強制的にでも授業を聞かせる必要があると思う。
俺が授業で厳しいって話だったね?
-はい。よくそう言われているように思います。
-たしかに毎回出席は取るし、毎回講義用ノートの最後の紙切れにその授業の疑問点、質問を書かせるものね。
学生はあれを鬱陶しく思うだろうけど、今はそうでもしないとみんな考えようとしないと思うんだ。だから書かせてる。
考えること、問うことはとても重要だから。
-そうなんですか・・・。あれにはそんな深い理由が。。
-深いかなあ?ごく自然な流れだと思うけど。あれはあれで全てチェックして評価して、なかなか大変なんだ。仕事だから仕方ないけど。
-あれは誰が集計とか取っているんですか?
-誰だと思う?
-あ、いえ、失礼しました。。では、先生が授業で厳しくしているのはその「問う力」を養わせたいと?
-うん。今の学生の批判精神を育てたい。「受け売り」を知ったかぶってしゃべってるんじゃなく、
自分の頭でちゃんと考える自立的な人間を育てたいんだ。みんなお金を払って大学に来ているんだから、何かしら勉強はしたいはずだ。
俺は自分が学生時代に勉強のおもしろさに気づけたから、そのきっかけを今の学生たちにも作ってやりたいと思う。
だから毎回質問用紙は書かせるし、授業中に喋っている学生は追い出すし、寝てる学生は起こす。
こっちがこんなに真剣勝負で授業やってるのに、ふざけんなって気分で学生を叱る。
これを「厳しい」とか言ってブツブツ文句言うような学生には、俺の講義は聞いてもらいたくないね。
-そうですか。でも、ゼミでは厳しくありませんね。あ、いえ、僕らの発表に対する指摘は厳しいものですが、
授業みたいに何かしらやれというふうにはおっしゃいません。
-それはやっぱり自分たちで勉強したいって集まった集団なんだから、自分でやらないと。
別に手を抜いているわけじゃない。たしかに、ゼミの時間が短くなればいいと一番思っているのは俺だ(笑)。
「もう終わろうよ」とか俺が言うと、「まだダメです」って言うのは君たちの方だよね。俺がゼミで厳しく指摘する点って言ったら何?
-えっと、レジュメや論文であまり考えずに書いているところですかね。。
-うん。「あまり考えずに書いているところ」に加えるなら、「全然考えずに書いているところ」、かな(笑)。
ただ調べたことをそのまま書いてるだけという場合だね。
まずもって、そういうのを見たときに思うのは、それを書いたゼミ生はきっとこのレジュメ作りがつまんなかっただろうなってこと。
ただ調べて述べるだけでは、ワクワクしないでしょ。やっぱり何か目的をもって調べて、
それについて段々自分の理解が深まっていくのを実感して、
最終的に「よし、これだ!」って何か真理を発見した時、その瞬間が感動的だよね。
たとえそれが小さなものであっても。もちろんそこには簡単には行き着かないけど、
行き着かないにしてもその過程も楽しいはずだよ。研究の場合、「勉強したけど結局わかりませんでした」でもいいんだ。
それが自分の答えならね。見つけるのに時間がかかるなら、思い切りかければいい。
もちろん、時間的制限がまったくないわけじゃあないけどね。研究報告をするには、どこかで区切りをつけなくてはいけない。
-先生もずっと同じ学生を見ていられるわけでもありませんものね。僕らがこのゼミにいられる期限も卒業までって決まっています。
-そう。大学に来て、授業に出て、ゼミにまで入った。これで勉強のおもしろさを一回も味わわずに卒業するのはもったいないよ。
君らは年間100万円も授業料を払っているんだからね。今もそうなんだろうけど、昔から大学の授業なんてつまらないものだったんだ。
でも昔は自分でおもしろいことを探して発見していた。少なくともその努力はした。今は面白いものを与えられるのを待っているね。
口を開けてエサをもらうのを待つひな鳥みたいに。大学生なんだからそろそろ飛び立って自分でおいしいものを探さないといけないと思う。
まぁ、口開けて待っているならまだある程度エサをやろうって気にもなるけど、最近は口を閉じているのもいるからね。
それじゃあ餓死しちゃうよ。でも、その事実に気づかないのかな。とにかく、まだ与えられるのを待っているなら、
最低限は与えてやりたいと思っている。でもゼミ生は違うよ。自分から来ないといけない。
社会人になってから、自分から働きかけずに、大した考えも持たずに行動していて、社長とか上司たちが目をかけてくれるわけはないからね。
今のうちに主体的に行動すること、自主的に学んでそれを実戦に活かすことを勉強しておいてもらいたい。
それに、社会人になってからでは、何かを追求する自由な時間を見つけることもなかなか難しい。
今その時間のあるときに勉強のおもしろさを味わって、疑うことを覚えて、物事を考えられる人間にならないと。
俺の授業やゼミの活動がその一翼を担うならいいと思っている。そういうきっかけになるならね。
-なるほど・・・。キッカケはー、山口ゼミ。。
-何か言った?
-い、いえ、では今日はこのあたりで失礼します。どうも、貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。